電子カルテシステ 鈴木 隆弘,高林克日己   千葉大学医学部医療情報部   
SUZUKI Takahiro, TAKABAYASHI Katsuhiko     anotherHp

1.背景
 最近,医療の世界だけでなく一般社会でも,「電子カルテ」という言葉を聞く機会が多くなった.
この背景には,パーソナルコンピュータの普及やインターネットの浸透によって医療者のコンピュータ
リテラシー(コンピュータ素養;コンピュータを利用できる基本能力)が向上し,カルテの電子化が絵空事
とは感じられなくなってきたという技術的側面と,情報開示とインフォームド・コンセントや医療費抑制など
の医療を取り巻く新しい流れにおいて,電子カルテが役立つかもしれないと期待されているという社会的
側面があげられる.

 電子カルテには紙のカルテではできない数多くの利点がある.例えば保管のためのスペースで,古いカルテ
の保管と管理で苦しんでいる病院は少なくないが,電子カルテならスペースは遥かに小さくて済むし,
検索も容易である.
端末があればシステムのどこからでも同じカルテが閲覧できることも利点である.
紙のカルテでは患者が検査や他科の外来を受診しているときは,カルテも一緒に運ばれているので見ること
ができない.
電子カルテであれば複数のスタッフが同時に同一のカルテを使用できる.
またインターネットなどを利用して,施設間の連携や情報交換も容易になる.

 近年は日本においても,個人主義の浸透によって患者の自己決定権が強く意識されるようになってきた.
これに伴い,カルテは患者自身のものであるという,いわゆる情報の支配権が医療においても意識される
ようになり,最近は患者の権利として医療機関にレセプトの開示を求める例が増えてきた.
カルテについても開示の是非が論じられているが,例えレセプトであってもカルテの一部であり,この意味で
開示はすでに行われている.
カルテが誰のものであるかという議論は,まだ決着がついておらず,病名の告知との問題と絡んでなお
曲折が予想されるが,基本的にはカルテは開示の方向に進むと思われる.

 カルテは単に医療関係者間の情報伝達手段ではなく,まして医師の備忘録などではなく,患者個人
に対しても,保険の管理組織に対しても,行われた医療サービスの内容を説明するための資料として位置
づけられるようになってきている.
医療の内容を社会に説明する責任(accountability)は日本でも徐々に明確になりつつあり,
医療費の公正さを説明する情報の提供は不可欠で,カルテの重要性はますます高まるであろう.
これまでのように片手間に管理される状況は,いつまでも許されるはずがない.

 血液製剤によるHIV感染に関連して,厚生省が血液製剤の投薬を行ったすべての医療機関に報告を
要求した一件では,17年も溯った診療記録の提出が求められた.
これは医師法に定められた5年というカルテ保存期間がもはや基準として使えないことを示している.
また,数十万件という大量の記録の中から特定の症例を抽出するには,診療記録のコンピュータ化が
不可欠であることを思い知らせる象徴的な事件であった.

2.電子カルテの定義
 電子カルテの明確な定義は,実はまだない.
このため,電子カルテの関係者すべてがそれぞれの電子カルテ像を心に描いている.
手書きのカルテをスキャナで取り込んで電子的にファイリングするだけのものや,書き込みを手書きからワープロ
に変えただけのものから,構造化されたデータ記録を行い,オーダエントリーや診療支援システムとも連携する
ものまで様々であり,このことから少なからぬ混乱も生まれている.
これは目指すものの違いであり,電子カルテの可能性をどう捉えているかという意識の違いによる.

 筆者らは,「患者と医療スタッフのための医学的データベースおよび通信環境」を電子カルテの定義と
考えている.
なぜなら筆者らは,電子カルテは単純に診療の記録を作成するための新しい道具ではなく,医療の質と
効率の向上を目指し,新しい医療体制を支える基盤,すなわちインフラストラクチャーとなり得るシステム
であると考えているからである.
それゆえに,既存のカルテをただ電子化するだけでは意味が薄く,また記録する範囲も医師の書くいわゆる
カルテだけとは限らない.医療情報はそれに関わるすべての人々のものであり,決して医師だけのものではない.同じ情報を患者,医師,看護婦(士),検査技師,薬剤師,放射線技師,事務職員など,様々な人々
が利用できなければ円滑な医療は提供できないからである.

3.電子カルテの利点

 ここで紙のカルテの問題点と電子カルテの利点を整理してみる.
 まず,紙のカルテの問題点としては以下のようなことが挙げられる.
?他人には読み取れない乱雑な記録になりやすい.
 医師には悪筆が多い(?)上に,狭い領域の専門家や一部の仲間(時には自分一人)にしか通用しない
略号が繁雑に使われるため,記入者にしか読み取れないことも少なくない.
2.診療上あるいは管理上で必須の情報が欠落する.
 規格やガイドラインのない記録様式では,医師の思いつくままの記録しか残らない.欠落した情報は
記入者本人の頭の中にあるか,もしくは全く意識されていない.
3.表現が多様で統一性がない
 英語,ドイツ語,日本語,仲間内の符帳が混在し,同じ事象についての表現が様々である.
4.表示形式が固定されている
 診療経過におけるそれぞれの時点の記述に限られていて,経過を通しての横断的な情報表示ができない.
5.容易に複製を作れない
 同時に1カ所でしかカルテを使えず,情報の統合化の妨げとなる.ただし,これはセキュリティ上は利点
でもある.
6.診療目的以外に利用しようとすれば,必ず情報の抽出作業をしなければならない.
 レセプト作成には毎月莫大な労力が費やされている.研究目的で情報を検索する際にも大変な労力
が必要となる.
7.保管のために必要なスペースが大きい
 カルテは年々増え続けて管理庫を圧迫していき,古い情報の取り出しは困難になる.
8.火災などの災害に弱い.
 通常バックアップは取られていないので災害時には弱い,ただし,電子カルテと違い停電には強い.
9.文字と画像の一部しか記録できない.
 文字の他にはスケッチと写真(レントゲンフィルム以外)しか扱えない.

aからcまでは記述が標準化されていないことからくる問題点であり,dからfは情報の後利用に関するも
の,gからiは紙の物理的性質からくる制約である.カルテの電子化(電子カルテの実現)はこれらの紙の
カルテの問題点を解決するためにあるといってよい.
 一方,電子カルテの利点としては以下のようなことが挙げられる.
?管理スペースが少なくて済む
 コンピュータの設置や管理のスペースは他の情報システムと共有できるから,紙のカルテの収納庫の
10分の1以下となる.
2.病院管理のためのデータ集計ができる
 諸種の統計の他に,保険請求が半自動で可能.
3.臨床医学研究にデータが利用できる.
 広範囲・長期間かつ莫大に臨床データを集めることが可能になり,これによってEBMなどの基礎となる
データが得られる.
4.ネットワークでスタッフが情報を共有できる.
 端末があればいつでもどこでも情報にアクセスできる,また,データを各部門が共有することでチーム医療
の円滑化となる.以上は院内のネットワーク化であるが,これを院外にも押し進めると地域連携システムと
なり,地域医療の活性化や質の向上につながる.
5.同じデータを何カ所にも転記する必要がない.
 作業は瞬時に終了し,誤記の心配も無い.
6.同じデータを全く異なる書式で扱える.
 各部署の要望や診療の状況に合わせてデータを様々に加工して表現することができる.グラフなど表
現形式を変えることで,今まで見えなかったことが見えてくる場合もある.
7.定型文書の自動作成.
 診断書や紹介状,病歴要約などの作成では,必要なデータを抽出してくることで半自動的に作成
できる.
8.診療支援
 医学教科書との連動や,定期的検査の自動アナウンス,誤りの自動チェック等が現時点でも技術的に
可能である.
将来的にはAIによるエキスパートシステムとの連携も可能となるであろう.
9.マルチメディアデータを一緒に扱える
 静止画だけではなく,動画,音声などのマルチメディア情報を統合して扱える.イントラネット・インターネット
と接続することで医学教科書などの膨大な情報にアクセスし,取り込むことができる.

4.電子カルテの実例
 電子カルテは開発中のものだけではなく,先駆的なシステムはいくつか存在している.ここではすでに稼働
している電子カルテをいくつか紹介する

?大橋産科婦人科医院
 「電子カルテWINE」は大橋医院院長の大橋克宏氏が自ら開発したシステムであり,現在のバージョン
はMacOS X上で稼働する.最初のバージョンが稼働を始めたのは1989年の春であり,すでに10年以上
の実績がある.開発目標は
・紙でできたことはすべてできなければならない.
・紙のカルテより使いにくくてはならない.
・紙でできないことができなくてはならない.
の3点で,利用者が開発者となって,自らの診療形態にあった改良を続けてきた結果,現在では上記の
3点をすべて満たす使いやすいシステムとなっている.
2.亀田メディカルセンター
 「電子カルテQUEEN」は亀田メディカルセンターが開発した大規模病院向けのシステムであり,5年の
開発期間を経て1995年から稼働を開始している.
亀田メディカルセンターは,主に入院患者を対象とした亀田総合病院(784床)と1日に約2,000人の
外来患者を診療する亀田クリニックを中心として構成されており,千葉県南部の地域中核病院となって
いる.
 QUEENはオーダリングや医事,看護,検査,画像などのシステムを統合しており,データを一元的に表示
できる.
診療記録内容の記録方法としてPOS(ProblemOriented System)をサポートしている.
また,医療の質を高める機能としてナビゲーションケアマップを提供している.
これは診療の経過と予定を一覧する機能と各種のオーダ・結果参照への目次を統合したもので,紙の
カルテにはなかった診療プロセスの表現方法を現場に与える.
症例毎に標準化されたケアマップと比較することで,診療の質の評価にもつながる.

5.今後の課題
 電子カルテが普及していくためには解決しなければならない課題は多い,
?ユーザーインターフェイス
 一番目に触れる部分であり,注目もされているのは入力方法である.
キーボードアレルギーを持つ人は減ってきてはいるが,医師にはまだまだ多い.
たとえコンピュータに慣れた医師であっても,インターフェイスが悪ければ入力に時間と注意を取られてしまって
診療がおろそかになる恐れがある.
これでは本末転倒も甚だしい.
 現実の診療,特に外来では一人あたりの時間が短いこともあり,とにかく簡易な入力が求められることが
多い,
しかし,現実に合わせるあまりに理想を失っては電子化する甲斐がない.
きちんとしたカルテを書こうとすれば,どうしても時間はかかるものであり,それは紙のカルテでも変わらない.
ほとんど何も書いていないカルテはいつまでも許されるものではないと考えられる.
ただし,前述の電子カルテの利点の1),2)を重視するあまりの画一的導入を行えば,診療現場に無用の
混乱と質の低下をもたらす危険がある

 筆者らは,標準化された記載を容易に行うことはテンプレートを利用することで達成できると考えている.状況に応じた適切なテンプレートを使い分けることで,診療を妨げることなく,また,診療の標準化にも役立
てることができる.
 な医学知識が必要で,当然ながら少数の研究者では充分なテンプレートを用意することは不
可能である.
これを解決するためにTDL(TemplateDescriptin Language;テンプレート記述言語)が
提唱されている.
これはテンプレートの記述書式を統一することで,異なるシステム間でもテンプレートを利用できるように
し,多くのテンプレートを収集しようというものである.
TDLを用いることで,各分野の専門家の協力を得て多くの領域のテンプレートを収集することが容易となる.
2.データ交換
 現在は電子カルテの黎明期であり,様々なアイデアによる自由競争が不可欠である.
また,医療は複雑であるし,医療スタッフは仕事も性格も様々であるから,画一化された電子カルテが使い
よいはずはない.
しかし,各種の電子カルテが出現した時,相互にデータの互換性が無いのでは非常に困る.
これでは電子カルテの利点であるネットワークへの接続と広範囲のデータ収集,知識の交換ができなくなる
からで,見かけや使い勝手は全く異なっていてもかまわないが,データを相互に利用できるようにしておかね
ばならない.
 このために,SGML(Standard GeneralizedMarkup Language)文書形式による
医療情報DTD(DocumentType Definition)である
MML(Medical MarkupLanguage)規格が定められている.
3.セキュリティ
 紙のカルテにおいても電子カルテにおいてもセキュリティは重要な課題である.
セキュリティの技術的な面はすでに確立され,実用化されており,それらを適切に組み合わせることで必
要なセキュリティを得ることができる.
重要なのはむしろ運用面である.利用者の意識が低ければどんなに強固なシステムを作ってもセキュリティ
は穴だらけとなってしまう.
 電子カルテ時代になれば,大量の診療データを集めることができる.医療機関以外でも,例えば健保組合
などにはレセプトの形で大量のデータが蓄積される.
これらのデータの2次利用に対しても,適切なセキュリティが確保されなければならない.
4.標準化
 目立たないが重要であり,また,困難が予想されるのが標準化の分野である.
現在医療情報交換のための規格としては,前述のMMLの他に情報交換のための
HL7(HealthLevel Seven)や,
画像伝送でのDICOM(DigitalImaging and COmmunication in Medicine),
これらの組み合わせの指針である
MERIT-9(MEdicalRecord, Image, Text-Information exchange)などがある.
 病名/用語集・コードの標準化の分野では
ICD9,ICD10(InternationalClassification of Disease and Related HealthProblems)や
SNOMED(Systematized Nomenclatureof human and Vaterinary MEdicine),UMLS(UnifiedMedical Language System),
診療科別標準傷病名集,臨床検査項目分類コードなどがある.
しかし現状では,電子カルテの登場以前から標準化の努力がされていながら,未だに膨大な医学概念の
すべてに標準用語が決められているとはいえない.
なぜならば,用語の標準化とは疾患概念や分類法の標準化に他ならないから,当然異論が出てまとま
らない場合もあるからである.
また,各々のコード集には特有の目的があり,電子カルテを目的として,必要な医学用語がすべて網羅
されているコード集は現在のところ存在しない.
5.データベース構造と出力
 今まではユーザーインターフェイスの入力面ばかりに関心が集まりすぎていた嫌いがあるが,出力面も
重要な課題である.
単なる紙のカルテの模倣ではない,電子カルテならではのデータの表示方法や検索方法などがもっと
議論されて良い.
データベース構造とKeyのあり方についても,現在はベンダーが全く独自に作成しており,早急に固定する
必要はないし,もっと議論されて良い.
6.法律面
 電子カルテに関する法律は,医師の義務としての診療行為の記録,保険請求の記録および
プライバシー保護に分類される.
電子カルテの実現のためには,現行のカルテに関連する法の改正が必須であるとともに,電子記録としての
新しい法制度が求められる.
新しい法制度ではセキュリティの確保と情報開示,研究,病院管理,健保財政などでの診療情報の
二次利用についてのルールづくりも必要となろう.
 1999年5月に厚生省は診療録の電子保存に関するガイドラインを公表した,これは電子カルテの普
及に大きく弾みをつけるものである.

6.究極の電子カルテ像
 電子カルテのメリットのひとつは病院間を超えてカルテや画像が自由にやり取りできることである.
画像情報を電子化して送ることはすでに始まりつつある.
今後はさらにある患者のカルテを開けると,そこにはその患者の出生時からのすべての医療情報が入っていて
(あるいはアクセスできるようになっていて),その人の全病歴を検索できることが可能になるだろう.
このことにより既往歴,服薬歴,アレルギーなどが容易に参照できるし,不要な検査や投薬も減少する
であろう.
また相互のカルテを公開することは医療の質を結果的に高めることになると期待される.
しかし一方で一診療施設の資料を他の施設へ公開することは患者のプライバシーの問題などに抵触する
ことである.
このように電子カルテの病院間の通信には大きな倫理的な問題を孕んでいて簡単に実現できるものでは
ない.
どちらのメリットが大きいか十分に議論した上での国民的合意のもとに,電子カルテが各病院を結ぶ重要な
役割を担えるように期待したいものである.

電子カルテ関係へのアクセス
●電子カルテ研究会 シーガイアミーティング(毎年5月末宮崎にて)
●日本医療情報学連合大会(毎年11月末)
●電子カルテが医療を変える 里村洋一編

SUZUKI Takahiro, TAKABAYASHI Katsuhiko
千葉大学医学部医療情報部
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